選書プロジェクト 第2号


ネットプリント番号:13448790(1/21まで)



「アンチ・ヘイト」の潮流を

個々の人間、個々の民族の特性をそのまま認めながらも、真に誉むべきものは全人類に属することによってこそきわだつのだという確信を失わぬようにしてこそ、真に普遍的な寛容の精神が最も確実に得られる。
(ゲーテ(小栗浩訳)「文学論・芸術論」世界の名著38 ヘルダー/ゲーテ中央公論社、1979年)
 様々な差異をもつ人びとを差別排除し攻撃するヘイトスピーチが、日本社会では「差別」と認識されず、公然と野放しにされ、「意見」として社会から守られています。ナチス・ドイツのホロコーストを想起させる特定の人びとへの生存権を脅かす「主張」とは、果たしてひとつの「意見」なのでしょうか? 
 人類の歴史を参照すれば、差別を煽動・肯定するヘイトスピーチとは「意見」ではなく、生命を脅かす「暴力」に他なりません。人類は長い年月をかけてそのことを社会のコンセンサスとするよう努力してきました。そして歴史に学ぶなかで、「二度と繰り返さない」と誓いました。
 差別を「意見」と錯覚し、差別を「区別」と理解する日本の現在とは、もはや「水晶の夜」といっても過言ではありません。差別する自由などありません。差別は意見でも区別でもありません。戦後日本社会においては、差別を抑える鎖が――か細いものではありました――脈々とつなぎ止められてきました。しかし、今、その鎖が壊れかかっています。
 いじめと同じように差別している人間は、そのことが差別という自覚がありません。差別が暴力と認識されず、憎悪のヘイトスピーチが野放しにされる現在、必要なことは、再び歴史に学ぶこと、今何が起こっているのか理解すること、そして差別を差別と理解できていなかった認識を改め、他者への想像力を鍛え直すことではないでしょうか。

 私たちは今回、ヘイトスピーチの問題を考えるための本を選書してみました。現在進行形で進む、歪な日本社会の「現在」を考えてもらう一助になればと思います。

―【アンチ・ヘイト】―

李信恵「#鶴橋安寧アンチ・ヘイト・クロニクル」(書房、2015)
「ただただ、体も心も冷えた1だった」。中学生の女の子に「鶴橋大虐殺」を叫ばせた大人への李信恵の怒りである。この少女のヘイトスピーチは沢山の在日の方々の心を壊し生存権まで奪おうとしたのだ。そして間違いなく、その、少女の心も壊している。「人権に国境はない」子どもを守るのは大人なのだ。原告として在特会との裁判に立つ李信恵の思いを是非読んで欲しい。


<著者・李信恵さんからのメッセージ>
 
 2014818日、「在日特権を許さない市民の会」と同会の桜井誠元会長、まとめサイトの保守速報に対し、損害賠償を求める訴訟を起こした。在日朝鮮人であり、女性であることで標的とされて来たが、同様な思いをもう他の誰にもさせたくない。
 しかし、今でもどこかで差別は生まれ、誰かの心を殺し、社会を壊している。どこの国でも、どの場所でも、あらゆる差別を許してはいけないと、日々思う。
 反差別のカウンター活動、外国人の子どもの学習支援、育鵬社の教科書問題、日本や韓国でのLGBT問題、女性差別、日本軍慰安婦問題などに関わってきたが、どの問題も根っこは繋がっている。
 今、この社会は確実に戦争への道を歩んでいる。もしかしたら戦争はもう始まっているのかもしれない。
 ヘイトスピーチは、いつか虐殺へと繋がる。戦争は、名もない人々の命を奪う。権力者が恐れるのは、弱者が連帯し、憎しみを連鎖させないことだ。手をつなごう、そして一緒に生きよう。

師岡康子 ヘイト・スピーチとは何か岩波新書 2013年)
「日本社会が真に問われているのは、法規制か表現の自由かの選択ではなく、マイノリティに対する差別を今のまま合法として是認し、その苦しみを放置しつづけるのか、それともこれまでの差別を反省し、差別のない社会を作るのかということではないだろうか」。ヘイトは立派な犯罪ですよ。日本は「差別の見本市」。

加藤直樹、明戸隆浩、神原元他NOヘイト! 出版の製造者責任を考えるころから 2014年)
言ってはいけないことがある。書いてはいけないことがある。ましてや、出版して広めてはいけないことがあるのは当然だ。人を傷つけ、不安にさせ、幸福を破壊するような言説は、断じて言論などではない。それは暴力であり、戦争であり、殺人だ。出版界に求められているのは、商業至上主義ではなく、人権感覚だ。

中沢けいアンチヘイト・ダイアローグ人文書院、2015年)
現代の排外主義は、なぜこれほどまでに人権をおとしめ、憎しみを煽るのだろう。これらの対談から見えてくるのは、安倍政権が推し進めようとしている「日本を取り戻す」どいう標語が、ヘイトスピーチをはじめとした、極めて醜悪な人権蹂躙の連鎖に先にこそ、想定されていること。ヘイトは紛れも無く政治問題である。

樋口直人 日本型排外主義 在特会・外国人参政権・東アジア地政学 名古屋大学出版会 2014年)
在日コリアンに対する憎悪差別犯罪の動機は、常に現状不満の鬱憤ばらしで説明されてきたが、それで全てなのか。本書は、外国人に対するネガティブなイメージより戦争と植民地支配に対する責任の未清算に起因すると指摘する。隣人憎悪を右傾化し歴史修正企る政権が追い風を送っている。時代に戦慄せよ!

藤井聡、適菜収、中野剛志、薬師院仁志、湯浅誠著 ブラック・デモクラシー 文社、2015年)
恫喝で少数者を黙らせ、多数決で民意の支持を得たと強弁し、責任を問われれれば逆上してプライバシー侵害の人格攻撃に及ぶ。ナチス・ドイツを彷彿とさせるアベ政治、そして、橋下維新の体質。この本には民主主義の危機が示唆されている。民主主義破壊のアベ政治を退場させるには、まず、橋下維新から。

在日コリアン教材作成チーム サハリンから来た崔アンナ(全国在日外国人教育研究所、2015年)
イラスト入りの読みやすい本です。日本語も簡単です。南半分が日本領だったサハリンには、日本により朝鮮半島から連れて行かれた人の子どもたちが、いまでも暮らしています。まわりの友たちもほとんど知らない歴史を、私はこの本で知りました。ヘイトをする人たちにも、この歴史を知ってほしいと思いました

有田芳生ヘイトスピーチとたたかう! 日本版排外主義批判(岩波書店、2015年)
「殺せ」「出ていけ――在日コリアンに浴びせられる殺人教唆と暴力の数々。本書は在特会を中心とするヘイトスピーチを批判する現在進行形の戦慄すべき報告であり、その詭弁を明らかにする。和を重んじる日本には差別は存在しないと人は言う。しかしその予定調和の重力が日本型排外主義として機能するのだ。

安田浩一 ネットと愛国(講談社、2012年)
初めて在特会の実情を丹念にレポートしたのが本書だ。在特会に「思想」は存在しないし、その活動は「レイシズム」以外の何ものでもないが、誰がヘイトスピーチを垂れ流すのか。「フツーとしか形容する以外にない」「あなたの隣人」なのだ。アーレントの「悪の陳腐さ」を想起せざるを得ない。

― 【不朽・いま】 ―

池田 大作、A・アタイデ二十一世紀の人権を語る出版社、1995年)
私たちは、人権を守るべきものと学んできました。しかし理由について深く考えてこなかったことが、人権尊重を嘲笑う温床になっていると感じます。世界人権宣言を起草した作家との対談で、創価大学創立者は「人権は幸福なる人生を開拓する全人格の発展の権利でなければならない」と指摘しています。目から鱗とはこのことです。

趙文富、池田大作希望の世紀へ 宝の架け橋(徳間書店、2002)
主に日韓のこれまでの歴史について、触れにくい箇所にも率直に対談されている。それはまさに「「真摯に過去を見つめること」は、「真摯に未来に向き合う」こと」である。歴史認識のあるべき姿を教わった書である。また、「日韓」ではなく「韓日」という表現からも、韓国を敬う姿を感じることができる。

マーチン・ルーサー・キング良心のトランペット(みすず書房、1968年)
晩年キング牧師は、周囲の反対にも顧みず「沈黙に終止符を打ち、良心に従って」あらゆる暴力と不正義に対してNOを突きつけました。目の前のひとりに寄り添うこと、差別と戦うこと自体、あらゆる暴力に対するNOだからです。非暴力運動による世界平和の実現の礎と説くキング牧師の遺著をこんな時代だからこそ紐解きたい。

松本誰が「橋下徹」を作ったかー大阪都構想とメディアの暴走140B2015年)
暴論も毒舌も、言論のうち。橋下維新のこんな詭弁をマスコミが批判もせずに通したことが、ヘイトを活性化させたばかりか、アベ政治の詭弁をも許す結果になってしまった。橋下流発言がヘイトそのものであることに気づかない人権感覚の麻痺は、在阪マスコミにも責任の一端がある。それを検証した、快心の一撃。

福島菊次郎証言と遺言(デイズジャパン、2013年)
人間の尊厳を守るために、権力に迎合せずシャッターを切り続け」た故・福島氏の写真集。戦後の問題は何一つ解決されていないと彼は言う。常に最前線で権力の横暴を告発し続けた彼は、一方で被写体と真正面から一人の人間として向き合い、精神病院に入った人でもある。人間主義の精神はここにある。

中島岳志アジア主義 その先の近代へ(出版社、2014)
西欧列強の覇道を打破し、東洋の連帯という王道を目指したアジア主義。しかし国家を超えた民衆の連帯の模索は戦前日本では挫折の末に近隣諸国を蹂躙した。日本の未来は、アジアとの友好なくしてあり得ない以上、その負荷を認識せずには進めない。植民地支配を文明化と錯覚する「名誉白人」なんて格好悪いぜ。